裁判傍聴から人生を学ぶココロノトモのブログ

傍聴した裁判から学んだ事、考えた事をまとめています

名古屋地方裁判所のすぐ近くにある「戦争に関する資料館」

名古屋地裁から歩いて10分強の場所に「戦争に関する資料館」がある。

 

最近このような施設があることに気付き、早速行ってみた。

 

爆弾の実物が展示してあったり、戦争の語り部ビデオが常時流れていたりと狭いながらも見ごたえがあった。入場料無料で、裁判所にも近いので傍聴の空き時間にもちょうどよいと思う。

休館日は月・火曜日なので注意。

 

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建物は昭和8年に建設。有名な建築家黒川紀章氏の父である黒川巳喜氏らが設計した建物。丸い窓や、漆喰の装飾が魅力的。

 

 

1997年に工事現場から発見された250kgの爆弾が展示されている。

 

 

慰問袋には衣類・食品・衣料品・読み物・写真・海外・お守りなどに慰問文を添えて送られた。兵士は女優のブロマイドで元気づけられていた。

 

 

先日訪れた名古屋市内にある「戦争と平和の資料館」にも展示があった電灯カバー。夜空襲時に家の電灯のあかりが外に漏れないようにするカバーだ。

 

 

これも先日訪れた「戦争と平和の資料館」 にもあった防火砂弾。市民が消化活動に使う道具。

 

 

敵国の民間人、兵士の戦意喪失を目的として配布するビラ、伝単。

拾って読むことが禁止されていた。

(見るなといわれても見ないというのも難しそう…)

 

 

焼夷弾で焼け焦げた床板

 

その他、戦争経験者が当時を語ったビデオ上映を常時行っていたり、戦争に関する本があったりそれらをじっくり見るには一度では難しいので、何度も訪れるとより理解が深まると思う。

 

戦争経験者が当時を語ったビデオで私が見た箇所は、終戦間近満州にいた日本兵だった方がソ連に移送され足が凍傷になるも、麻酔もなくペンチでそのまま切断されたという話だった。

そのビデオは平成17年に録画されたようだったので少なくともまだ20年前には存命されていた方に実際に起きた話だということが実感としてすんなりまだ入ってこない。

 

10名ほどの語り部のビデオが順にテレビで流れているので、また何度か行って他の語り部の話も聞いて戦争に思いを馳せてみたいと思う。

戦争と平和の資料館に行って学んだ防空法

建物の前を何度も通ったことがあるのに、全く存在に気付かなかったのだが名古屋市内に「戦争と平和の資料館」があるのを先日発見した。

 

この施設は、1990年代忘れ去られていく戦争を次世代に伝えていくために資料館を作ろうという市民運動から紆余曲折のあと、加藤たづさんという当時84歳のご婦人が土地と建設費1億円の寄付されたことにより出来た資料館だ。

peace-aichi.com

 

近くで用事があったので、早速行ってみた。

 

市民運動と個人の寄付から創立された資料館ということもあり、係員の方もボランティアだそうで、展示は重い戦争というテーマだけれど係員同士も和気あいあいとした雰囲気で、かえって私にとっては安心できた。

 

館内は撮影禁止、また閉館間際に行ってしまい十分に見ることが出来なかったので多くを語れないのだが、空襲に対しての防空対策として「防空法」というのがあったことを知ることが出来たのが収穫の一つだった。

 

市民に対して疎開も制限、「空襲から逃げずに消化することは国民の義務」として消化活動を義務づけられていたり、避難や退去を禁じたり、空襲時に夜電気が外に漏れないように明かりを制限したりした法律だ。

 

素焼きの茶碗をひっくりかえしたような形の砂弾(さだん)防空投砂器が展示されていた。

その容器の中には砂が入っていて、火にそれらを投げると素焼きの容器が割れ、中の砂で焼夷弾の消化が出来るとされていたそうだ。(もちろん、そんなことで消化がうまく出来なかったはずだ)

 

灯火管制に関する展示では、ランプカバーと側面が黒く塗られ真下しか照らさない電球があった。

ランプカバーにはステッカーのようなものが貼ってあり、そこには現代の左から右向きではなく、右から左向きに「愛国防空カバー 護れ大空 洩すな一燈」の文字が印象的だった。

 

家が燃えていても、逃げることも許されず「小さな容器に入った砂で消化活動をする」行為をしなければ、非国民となる。

その後ネットで調べてみると、消化活動でバケツを持ったまま亡くなった人を称賛する当時の新聞記事があった。消化活動に命をささげたことを称賛されていたということだ。

 

防空法は、結果的に空襲による被害を更に大きくし、市民にとっても国にとっても幸福をもたらさない法律だった。

 

 

法務省のきっずるーむという子供向け教育ホームページでは、「法は私たちをしあわせにしてくれるものじゃよ」と説明している。

悪人と善人の境界線

受刑者や出所者の社会復帰支援に取り組むNPO団体の代表で自らも元受刑者だった人が、相談者の女性に性的暴行容疑で逮捕起訴された。

 

助けを求めて来た女性を狙うなんて本当に卑怯だし、怒りも覚える。

 

この元受刑者は、過去のネット記事から多岐に渡る犯罪をしていたようで、悪事へのハードルが低かったのは確かだ。3度目の服役後、良い出会いがあったこともあり、社会復帰支援のNPO団体を立ち上げ、元犯罪者としての苦労もしながら多くの人を助けていた。

 

この話を聞くと、この人はもう「悪人」から「善人」になったんだという印象を持つ。悪人と善人の住む世界はハッキリと分かれていて、その間には大きな川が流れているようなイメージで。「善人の世界に来れた、よかったよかった」と。

 

人生なんてそんな単純じゃない。

更生への道もそんな単純じゃない。そして、一度更生してもその後良い状態が続くことが確定されたわけではない。

 

善人と悪人が住む世界がくっきりと分かれているわけでもないし、悪人だった人がある地点で善人に転生するわけでもない。世界はグラデーションだし、その濃淡を行き来するものだ。

ベトナムの裁判所の傍聴、刑務所について

先日、ベトナムに行ってきた。

海外で裁判傍聴までたどり着くのは至難の業で、傍聴できたのはまだベルギーだけだ。

 

今回のベトナム旅行でも傍聴を試みたけれど、裁判所の前で門前払いを受けた。インビテーションがないと入ることが出来ないらしい。これはハノイの最高人民裁判所だが、建物は美しいので写真だけでも見てほしい。

 

外国人でも誰でも裁判傍聴できる日本の裁判は開かれていると思うけれど、日本の裁判所の建物は芸術性を感じない。単なる役所の建物にすぎない。

ベルギーの裁判所の建物は素晴らしかったし、バルセロナの裁判所の建物も綺麗だったし、このハノイの裁判所の建物も美しい。日本ももっと裁判所に日本っぽさを打ち出してもよい気がする。

 

ハノイで傍聴はかなわなかったが、事前に調べたことを含め情報をまとめておく。

 

まず、ベトナムの司法についてこの資料が役に立った。

国際協力銀行ベトナム投資環境の資料

https://www.jbic.go.jp/ja/information/investment/image/inv_vietnam202302.pdf

 

ベトナムの司法を簡単にまとめるとこんな感じ。

ベトナムの司法機関は、最高人民裁判所と最高人民検察院である。

■裁判制度は、最高人民裁判所、下級人民裁判所、軍事裁判所の三つに大別される。軍事裁判所は、被告が現役軍人である事件などを管轄する。

■最高人民裁判所の下、省級人民裁判所、県級人民裁判所の 3 級制がとられている。原則として二審制となっており、第一審裁判所の上級裁判所が控訴審となる。

■一審、控訴審とも 3 人の合議体で審判される。監督審においても 3 人の合議体で審判されるが、最高人民裁判所裁判官評議会が審判する場合には、全評議員の3 分の2 以上の参加で審判される。

 

ハノイの中心部からすぐ行けそうな距離だけでも他に裁判所が複数あり、これらは一審が行われる裁判所なのだろうと思う。

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ちなみに、私が門前払いされた最高人民裁判所の隣は、以前刑務所だった場所を博物館にしているホアロー刑務所博物館。

 

暗い房の中に足枷をされ、詰め込まれている囚人の原寸大のマネキンがあったり、ギロチンがあったり、拷問をする道具があったりとなかなかショッキングな内容も多かった。

 

そもそも海外の法律やその仕組みを知ること自体が難しいし、海外裁判傍聴のハードルはものすごく高いけれど、旅行した先の裁判傍聴を試みるだけでも勉強になった。

ベトナムで気付いた日本人の野生センサーの脆弱さ

先日、コロナ後初の海外旅行でベトナムに行った。

早速不思議なことが起こったので書き残しておく。

 

ベトナムに到着し、日本から予約していた長距離バスを空港内の指定場所で待っていると、私の行き先も集合時間も知っているようなそぶりを見せたスタッフを名乗る男性が来た。

 

空港近くのバス事業所まで車で行く必要があると言う。

 

長距離バス予約時、ほとんどの長距離バスが空港からではなく、近くのバス事業所でないと乗り降りが出来ないことは知っていたので「なんだ、大型バスが空港まで来るわけではなく、結局バス事業所までは車で行く必要があるんだ」と逆に事前に知っていた情報が邪魔して、その男性の車に乗ることになった。

 

空港近くのバス事業所に近づくと、その男性は送迎代金が必要だと言ってきた。細かいお金が無いと(本当になかった)伝えると、近くのATMに連れて行かれた。

 

幸いそのATMが壊れていて、近くに商店などもなかったためお金が用意できないことが分かると、その男性は「じゃ、お金は払わなくてもいいですよ」と言って私をバス事業所で降ろした。

 

一連の流れから心配になってバス事業所の係員に乗客リストに載っているか確認したが、私の名前はリストにあったのでひと安心。

 

バスを待っていると今度は、メールで「空港に来てるけど、あなた今どこに居る?空港の待ち合わせ場所に居る?」とバス運転手からメッセージが届いた。

 

「すでにバス事業所に着いていますよ。どういうこと!?」と返信したら「それはうちのスタッフだと思うから大丈夫」と連絡があり、最終的には無事長距離バスで目的地まで到達できたものの、あれはなんだったんだろう?という出来事だった。

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想像するに、私を車で連れていった男性はバスカンパニーの関係者ではあるが、必要がないのに車で事業所まで私を送り、小銭を稼ごうとしたのではないかと。

 

要求された金額はたった400円程度。ベトナムは日本より物価が安いとはいえ大きなお金とは言えない。小銭もらえるチャンスがあればもらっておこうくらいの特に悪いことをしているつもりもない気がする。

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アフターコロナで初めて日本を離れて思ったが、日本にいるとこんなギリギリの感じでだましてくる人に警戒する必要がほとんどない。

 

そのため、私たちは本来自分を守るためのセンサーの感度が悪くなっているはずだ。

 

日常気を付けてセンサーを働かせていないから、センサーがサビついてしまい、とんでもない詐欺にあってしまう、そういったことが日本で起きているのではないかと思う。

 

今回の私の体験くらいの小さいだまされ?を何度か体験しておくと、「なんかおかしい」という野生の感覚が大きな被害から守ってくれる可能性がある。

 

野生の感覚を取り戻さなくては。

 

ちなみに、ベトナムでは中国国境近くの山岳民族の村まで足をのばした。トレッキングのコースで、日本では絶対見ることのできない野生の〇麻が一面に茂っている風景を写真におさめることが出来た。

 

はてなブログで有料記事販売が出来るようになったそうなので、旅行のカンパだと思って気になる人は見てほしい。

 

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愛知県蟹江町母子殺害事件から学んだこと

 

事件自体は2009年だが、先日日刊ゲンダイで死刑囚へのインタビューが掲載されていた。

 

警察が犯人を逃がしてしまった不手際があり、逮捕までに3年半もかかった事件のため、一審は2015年。

まだ、傍聴をはじめたばかりでメモすら取っていなかったが、私にとって複数回連続して傍聴した初めての裁判ということもあり、私にとって思い入れがある事件だ。

Twitterで公判当時のことをつぶやいたところ、上記記事を書かれた片岡健さんから貴重な話をありがとうとメッセージをいただいたこともあり、当時の記憶を思い出しながらブログに残しておこうと思う。

事件についてはある程度ネット上に情報があるので、私の記憶に残り続けているポイントの部分を書いていく。

 

愛知県蟹江町母子殺害事件とは

愛知県蟹江町は、名古屋から電車で10分ほどだが名古屋からすぐとは思えないほど田舎であり凶悪事件と結びつかない場所。その蟹江町の民家で母と息子が殺害され、後から帰宅した三男に大ケガを負わせ金品を強盗した殺人・強盗事件だ。

最終的に死刑判決となった。

 

過去の万引きによる罰金刑の支払いの目途がたたず、お金に困っていた当時中国人留学生であった林振華が起こした事件だった。Wikipediaにかなり詳細にまとめてあるので、見ていただくこととする。

ja.wikipedia.org

 

 

法廷での林振華

報道やネットで見ることが出来た林振華は、まさにさわやかイケメンだったが、被告席に座っていたのは、髪が貞子のように顔面にかかり魂が抜けているようだった。拘禁症だと思う。

 

声もかすかに聞こえる程度で、体がゆらゆらゆれていたり、時には鼻水が膝まで伸びていることもあった。

 

まともに証言が出来ないこともあり、逮捕当初取り調べを受けた林振華の動画を流したことがあったが、話し方も穏やか、日本語も驚くほど流暢だった。日本語検定1級も保持。

 

ハイヒールの女性に吸い寄せられて

事件当日、ハイヒールを履いている女性のカバンをひったくれば追いかけられないので成功すると考えた林が、ひったくり目的で女性が多くいる名古屋の繁華街に出向いた。

 

しかし、実行できず帰りの電車に乗っていたところ、ハイヒールを履いた綺麗な女性が降り、その女性を追いかけた形で犯人も下車した。

林は女性を見失ってしまったが、この女性が一度は殺人犯に狙われて何をされるか分からなかったことを知らずにいることを私は願っている。

最終的にはこの事件は猫が導いていた、そして猫は・・・

ハイヒールの女性を見失ってしまった林が呆然としていたところ、猫が通りかかった。その猫がある家に入っていったため、その家が施錠しておらず入ることが出来ることに気付いた。その家がまさに今回の事件現場となった家だ。

事件が起きた家は全く林と関係はなかったが猫が林を導いたのだ。しかもなぜ殺す必要があったのか、林は最後にこの猫を踏みつぶして殺した。

殺された息子の彼女

殺された息子の彼女の供述調書が印象に残っている。亡くなる直前に妊娠したかもしれないと二人で喜んだ出来事があった。最終的には妊娠はしていなかったがこの事件がなければ結婚し幸せな未来がすぐそこにあったのだ。事件は、被害者や戸籍上の家族だけではなく被害者の周りにいる人に一生の傷を残す。

 

来日し毎回必ず傍聴した林の両親、母親は土下座も・・・

外国人が被告の事件で、祖国に住む親が来日して傍聴することはまずない。

そんな中、林振華の両親は、二人そろって来日し毎回傍聴していた。私がその後傍聴を頻繁にするようになったどの被告の両親よりも、事件に向き合っているのではないかと思う。母親が被害者家族に土下座しようとした(が、弁護士が止めた記憶だ)

 

この事件から学ぶこと

林振華は、両親からも愛されていた、勉強も出来た、中国から日本に留学するのはそう簡単ではなかったと思うがその実行力もあった、いわゆるイケメンだった、彼女もいた・・・

他の事件で被告になる人物に比べると持っているもはずいぶん多かった。

経済的には中流家庭で特別裕福ではなかったそうだが、国際電話で金に困っていないか親から尋ねることもあったそうで、本当に金に困ったら頼れるチャンスはあった。

 

最初のきっかけは、授業料のお金の工面がうまくいかず万引きという犯罪で取り繕うことが最終的には死刑が下される事件を起こすほどに麻痺してしまった。

 

死刑になるほど重大なこの事件からも学ぶことは、失敗に向き合う、プライドの取り扱いには要注意だった。

家族が起こした犯罪と向き合うことと、家族の形を存続させることの難しさ

先日、NHK 事件の涙で「パリ女子学生殺人事件」の残された家族についての番組があった。

www.nhk.jp

 

この事件については、一部しか知らなかったけれど、おそらく当時は相当な話題だったのだろう。加害者は心身喪失でパリで無罪となったが、加害者が殺人事件を起こしたことは事実で当番組はその家族のエピソードだった。

 

この殺人事件は犯人佐川の留学先のパリで起き、オランダ人友人女性を殺害、その肉を食べたという衝撃的な事件だが、当時パリに留学できることからも相当な金持ちだったのだろう。残っていた家族との映像からも裕福で家族仲も良かったように見え、生い立ちに問題があるようには全く見えない。

 

この番組を見て、一番印象的だったのは、事件を起こし日本に戻ってきてからも、佐川本人と家族は、事件については一切話をしなかったことだ。事件後も、仲のよい家族を演じ、その後両親も加害者佐川も亡くなり最後に弟だけが残された。

 

日本の裁判でも、被告家族の証言で必ず更生についての話が出てくるのだけれど、ほとんどが通り一遍の「今後は同居し、出来る限り監視します」「なるべく連絡を取るようにします」などの回答を述べるだけにとどまり、被告と家族が罪にとことん向き合っていると感じられたことはあまりない。

 

もちろん、拘留されていることも多いので、時間的な制約もあるし、自宅でじっくり話すことが出来ないからという理由もあると思う。

 

ただ、今回のNHKの番組を見て、家族の一員が犯罪をした事実に向き合うことの難しさ、家族としてサポートをしなければならないという葛藤、家族であることによって加害者側とみなされ社会からの批判や孤立・・・被害者家族の苦難に思いを巡らせることができた。

 

家族の一員が犯罪を起こしても、家族として日常は続けなければならない。本当の意味で家族として罪に向き合ったら家族としての日常が続けられないのかもしれない。加害者家族はそのジレンマに苦しんでいるのだろうと思う。