裁判傍聴から人生を学ぶココロノトモのブログ

傍聴した裁判から学んだ事、考えた事をまとめています

再犯は口先の体(テイ)を一貫できなかった結果

先日、「外向きの一貫性、体(テイ)が大事」という内容の以下のブログで裁判傍聴の話が少し出てきたので裁判の中での体(テイ)について書く。

 

saize-lw.hatenablog.com

 

大抵の裁判には裁判長の説教パートというものがあって、裁判長と被告人が「スマホを盗むと被害者が困ると思いませんでしたか?」「思いました」「もう絶対に同じことをしないと言えますか?」「言えます」というようなやり取りをします。

この儀式を「本心では反省してなくても口頭なら何とでも言えるのに意味なくない?」と思うかもしれませんが、「実際には本心ではなく体を制御しようとしているのだ」と考えるとスッと腑に落ちます。「本心では反省していないが、外向きには反省した体で振る舞う前科者」と「本心では反省しているが、外向きには反省していない体で振る舞う前科者」では、社会への実害の多寡という観点からは明確に前者の方がいいのであって、外向きに反省のポーズを徹底させる口頭の詰問からはそういう圧力を肌で感じることができます。

 

上記引用部分でも言及されているように、裁判では

 

「反省してますか?」→「してます」

「もう二度とやりませんか?」→「もう二度とやりません」

 

というやり取りをもって、「被告人は反省しているので再犯の可能性もありません、裁判所には寛大な判決をお願いする」という流れはごく一般的だ。

 

ただ、口で反省していますと言って体(テイ)を一貫させることができるのは初犯だけだ。

裁判の中で再犯を防ぐことは大事な観点であるため、再犯時にも同じく口で「反省しています、もうしません」と言っても、「またやってしまったよね。口でもう二度とやりませんと言うだけでは信用できませんよ」となる。

 

そのため再犯時の裁判では「今回は初犯の時と異なるこういう理由があるため三度目はありません」と、初犯の時と異なる何かを提示することが必要なのだ。

だが、異なる何かを提示する準備を事前にしていないと感じる被告が多い。これは大事なポイントなはずだが、弁護士はこの辺りの指導をしないのかが疑問だ。

 

再犯時は、初犯時の口先の「反省しています。もうしませんという体(テイ)」が一貫できなかったのだから、初犯時と同じ反省の仕方でよいということでは、今度は裁判官が体(テイ)が一貫できなくなる。

 

何事もどんな体(テイ)で動いているのかの視点が大切である。