裁判傍聴から人生を学ぶココロノトモのブログ

傍聴した裁判から学んだ事、考えた事をまとめています

悲痛を訴えるだけが最善の策ではない

被害者参加制度という被害者が直接刑事裁判に参加できる制度がある。

 

2008年からスタートした制度で、それまでは被害者であっても席が確保されているわけでもなく、被害者なのに蚊帳の外状態だったといっても過言ではない。

 

傍聴席にも限りがあるのでかなり近い関係者しか席を確保してもらえないんだと思うけれど、事前に申請していれば関係者席として傍聴席をとってもらえるようだし、被害者参加人は法廷の柵の向こう側で裁判に参加することができる。

 

2008年以前被害者は、理不尽に被害を受けたにもかかわらず、ありったけの想いをぶつける機会も優先的に傍聴する権利さえもなかったが、被害を受けてつらい中過去の被害者が様々な活動を通して権利を獲得したのだ。

 

通常は、被害者参加人はいかにつらかったか、被害が大きかったか、失ったものが大きかったか、被告への恨み、厳罰などを裁判官・裁判員に訴える。

 

被害者は、このチャンスにありったけの想いをぶつける。その被害者の訴えは、裁判員・裁判官により重い刑を科す材料の一つとなる。

 

「被害の大きさ、つらさを訴えたい、そして被告に重い刑を科してもらいたい」というのは被害者なら当然の想い。

 

だが今回、その当然の想いを抑え、冷静沈着かつ強い信念を持った被害者参加人としてのふるまいに遭遇した。

 

それは、最初から財産と保険金狙いで婚姻し兄を殺された上、実家も焼失、被告が捕まる前は自身も周りに疑われ家族も崩壊してしまう三重も四重もの被害を受けた亡くなった被害者の弟。

 

その公判は死人に口なし状態で、亡くなった被害者は異常な性癖があった、奇行があったなど、被告はウソとしか思えない証言を終始していたので、被害者の弟さんは裁判を聞いているだけでも相当な憤りがあったと思う。

 

しかし、その弟さんはただ自分のつらさ・想いを陳述の場でも訴えることはしなかった。

 

被害者なら当然のストレートに訴えたいという想いを抑え、被告を批判することなく、亡くなった兄が生前どういう人だったのか、(被告は最初から財産と保険金狙いで婚姻したかもしれないが)兄は被告を愛していたことなどを穏やかな口調で述べた。

 

今まで被告とその弟さんは面識はなかった。

 

そして、最後に裁判長に陳述書にないけれど一言だけ言わせてほしいと懇願し許可された後、被告人をじっと見て一言だけ言った。

 

「・・・お姉さん!」

 

この弟さんは、初めて法廷で会うこととなった義理の姉に不意にこのように呼びかけ、

さすがの終始否認している被告のかすかに残っているかもしれない人間の心を呼び覚ますことに、いちるの望みをかけたのだ。

 

この弟さんの信念に私はしびれた。

 

 

ネットやテレビにはせいぜい被告と不倫相手と被害者の三角関係程度しか相関図が出てこないが、何日も傍聴したからこそ金と男でしか関係を作れない被告の相関図をまとめたものがこちら。

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