裁判傍聴から人生を学ぶココロノトモのブログ

傍聴した裁判から学んだ事、考えた事をまとめています

家族内で問題をすべて解決しなければならないという呪縛が事件を引き起こす

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同居する母親の首を絞めて殺害したなどとして、殺人と死体遺棄の罪に問われた無職青谷良樹被告(29)の裁判員裁判が14日、名古屋地裁岡崎支部で結審した。検察側は懲役8年を求刑。弁護側は執行猶予付き判決を求めた。

私は傍聴に行けなかったのだが、実際傍聴した傍聴仲間から聞いたことも含めてこの事件について想いをはせた。

 

 

ニュースを見聞きするだけなら、こういう家庭内の事件はたまにあるよねと数多く発生する事件の一つとして流れ去ってしまう。自分の家庭とは関係ないし家庭内の話、頭に思い浮かぶとしてもこの被告と被害者の母の二者しか登場人物はいない。

 

被害者である被告の母は、メンタルが崩壊していて自宅はひどいゴミ屋敷、6回結婚、常時リストカットをしており自宅では息子(被告)に見せ、息子が外出先であれば写真を送る、息子は何十回も救急車を呼んだことがある、母がコンビニ袋にした排泄物を息子が片付ける、不眠の母に日常的に起こされ睡眠も満足に取れない、そんな環境で生活していた。

 

報道にもあるように被告が10代の頃から母の世話をしており、今ようやく問題視されてきたヤングケアラーの一人ともいえる。

 

ここで私は周縁に目を向けたい。被告には姉がいて、幼い頃からずっと姉は祖父母が育てており親戚は、被害者である母と絶縁状態。経緯までは分からないが、その母の元に残ったのが唯一被告だったわけだ。

 

この問題の中心人物は明らかに母。周縁には祖父母や被告姉がいるけれど、結果的に被告にこの母を押し付けた形になっている。

 

「ひどい家族」という感想を持つのが一般的だとは思うが、周縁の家族をひどいと思うのは「どんな事があっても家族内で解決しなければならない」という前提があるからではないか。

 

おそらくこの母は誰の手にも負えず、周縁は距離を取った。自分達の身を守るために。

この母を助けていたら共倒れになる。ここは推測になってしまうが、周縁も息子に母を押し付けた格好ではなく、母と一緒にいる選択肢しか用意されておらず、気付いたら母と息子だけになってしまったのではないか。

 

息子に母を押し付けた親族はひどいと言うのは簡単だが、私は親族がこの選択を取ったのは社会の「家族の問題は家族内で解決すべき」という圧からだと思う。

 

この母が問題の中心人物であることは明らかであるが、とうてい家族で解決出来る問題ではない。もう少し社会の「家族内で解決しなければならない圧」が少なければ、親族も外に相談出来たかもしれないし、被告息子一人に負担と不幸が凝縮されず、この事件も起こらなかった未来につながったと思う。

私達が今日今からこの事件を教訓に出来ることがあるとすれば、真っ先に浮かんだ「この被告以外の親族何してんだ!」の気持ちを一旦飲み込み、家族内でどんな問題でも背負い込むべきという前提を今一度見直すことではないか。