裁判傍聴から人生を学ぶココロノトモのブログ

傍聴した裁判から学んだ事、考えた事をまとめています

娘が性被害にあってしまったら親としてまず何をしたらよいか

性犯罪は、被害者を守るため、基本的には被害者が特定できる個人情報が出ないように裁判が行われる。

 

被害者が子供、被告はその子供の関係者だったりすることも多く、例えば被害者⇔被告の関係性が親子なら、被害者が特定されてしまうため、被告の名前すら法廷では分からないように裁判が進んでいく。

 

被告にとって、世間に自分が性犯罪者であることが公表されることは、制裁の一つであり、刑の重さ以外にも被告への罰としての意味合いも多いにあるにもかかわらず、被害者を守る措置が逆に被告に有利に働いてしまっているのが現状だ。マスコミも記事にしないし、世に出なければ子供たちがさらされている現実の世界を、大人たちが知らないままになってしまう。これでは、大人たちは性犯罪者から子供を守れない。

 

 

今回傍聴したの女児への性犯罪は、被告も被害者もフィリピン人。被告の親族の一人が帰国するのでその身内と被害者(6才女児)と母親も呼ばれたさよなら被告が家族と暮らしている自宅パーティでの出来事だった。

 

みんなで飲んだり食べたりしている中で夜遅くなってきたので、被害者が眠くなってきたところ、被告の部屋のベットで少し休むことになった。同じ家のそう広くないマンションですぐ隣にはリビングがある状況で、被告が女児の陰部をさわったりキスをしたとの容疑。

 

母親の証言を傍聴したのだが、小さな子供に起こったことの証言を同室にいなかった母親が説明するのは本当に難しい。

被告の部屋に娘の様子を見に行った母親はおびえてかけよってきた娘を見てすぐに何かあったことが分かったと言った。

でもこの母親の言葉では表せない感覚を刑事事件の証拠としてどこまで採用されるのか。この子だけではなく、きっと数多くの小さい子供への性犯罪がこのような証拠として形に表すことができないことにより立件できなかったり、被害届の受理もされないことは発生していると思う。

 

娘が早く帰りたがったので、すぐにその家を出て帰ることにしたが、おびえているが娘はなかなか話したがらない。娘は被告にされたことそのものよりも、母親が娘に女の子の大事なところを男の人にさわられたら死んでしまうと教育していたため、娘は自分が死んでしまうという恐怖におびえていたのだ。

 

ただ、この母親の気転がきいたのは、娘が被告にされたことを話す時にきちんと音声で残していたこと。最初は動画で記録しておこうと思ったけれど娘が嫌がったので音声にしておいたそうだ。この音声が大事な証拠となったことは言うまでもない。

 

この事件から学んだことは、小さな子供への誤った性教育は、もし事件にまきこまれた際に別の恐怖を与えてしまうということと、子供が話すときに記録を残しておくことが非常に重要ということだった。