いざ自分が裁判になるような大きな被害を受けたら「許す」境地にたどり着くことはまずないだろうと思う。
ただその被害者がお坊さんだったらどうだろうか。
お坊さんは普段説法などで、人には罪を許すことを説いているはずだ。
先日、神社が被害者という事件を傍聴した。いわゆるさい銭泥棒。
20代前半の若い男性二人が大胆にもさい銭箱ごと倒して2万円ほどのさい銭を盗んだ。
謝罪を示すために謝罪文を送付。その被告は初犯でないので、慣れているのか弁護士の指導がよいのか、テンプレート感を感じさせない名謝罪文だった。
また、謝罪文に被告の電話番号を書くのが一般的かどうか分からないけれど、謝罪文には自分の電話番号を記載し、お坊さんからの電話をもらうことに成功した。
そして被害者であるお坊さんから被告への一言は、
「今後は一生懸命やってください。それでいいです。」
このお坊さんは、被告を許した。
被害者が許してあげますと言う機会はなかなかないので、貴重な場面に遭遇出来た。
検事にも指摘されていたが、この被告は、今までの悪事がバレた時にうまいことすり抜けてきた世渡り上手キャラのようだった。この僧侶の許しを最後に、そのキャラを悪事の後始末に使わなくてもよいように方向転換していってくれることを願う。