なぜ私が裁判傍聴をしているのかについては以前ここで書いている。
このブログを書いている理由も残しておこうと思う。最初は、数多く裁判傍聴をしているので自分の中だけでとどめておくのはもったいない、何か残しておきたいという理由からだった。
ただ、裁判を最初から最後まですべて傍聴するのは時間的に難しいし、仮にすべて傍聴したとしても事件の全容が分かるわけではない。
裁判をすべて傍聴すれば全部分かると思っている人もいると思うが、あくまでも裁判は手続きのため、手続き上関係ないと判断されれば深く追求しないのだ。
しかも、基本的には刑事裁判を傍聴しているので被害者がいるわけで、事件の詳細を語るとセンシティブなことに触れることもなる。ブログに何を書くかは気を遣うところだ。事件に関係ない傍聴人から何か言及されるのは、被告人被害者ともに歓迎はしないだろう。
そこで、このブログではニュースのように被告人の名前には極力触れず、見聞きした事件、傍聴した裁判をきっかけに知ったことや、調べたこと、考えたことなどを中心に書き残しておこうと思っている。
傍聴をすると、被告だけでなく登場人物にも「え!そんな人がいるのか」「こんな世界があったのか」と自分が見えている世界の狭さに驚かされることは多い。
また、事件事故に関連する人物には人間の嫌な部分を見ることになるが、その反面とうてい普通の人では成し遂げられない救いの手を差し伸べる「神」が出現しているのを見ることもある。
例えばこんな受刑者支援をされている人。
例えばこんな神ホスト。
ニュースで報道されるのは、逮捕時や初公判、判決くらいでよほど大きな事件でない限り簡単な事件の概要と懲役〇年など数字のみだ。
初公判と判決の日には多くいる記者もその他の審理についてはほとんど傍聴すらしない。記者はその事件全体を追う仕事ではないことがよく分かる。
ニュースで見聞きしても、ほとんどの事件は数日で忘れ去られる。
私はニュースで数秒見聞きした人よりは、その事件のことを深く考えたり、調べたり、その事件の周縁について傍聴により見てきたり、考えたりする。
その上で、私の頭から出したことがネット上で文章として残り、読んでくださった人が自分自身や社会や人間についてこういう考え方、見方があるのかもしれないと思ってくださればありがたい。
特別お題「わたしがブログを書く理由」