人身掌握に長けた人に取り込まれてしまい、見えない恐怖に操られて人生がめちゃくちゃ、最悪その結果死にいたってしまうこともある。
先日傍聴したこの事件の20代男性被害者は、物理的に監禁されたわけではないけれど、暴力や食事制限など虐待まみれの場所でも逃げられない精神状態になり、最終的には半身大やけど、全身あざだらけ、体重は36kgほどとなり死に至った。
「誰かに助けを求めたり、警察に行ったり出来なかったのか」と誰もが思う。
被害者は20代の男性、被告はアラフィフの女性。体力的にはどう考えても被害者の方が有利だ。なぜこんな関係性になってしまうのか。
最初の手口としては、金銭的や住む場所に困った人の希望の光であるかのように仕事や居場所を与えたり同居に持ち込む。
この事件の被害者も最初は妻と関係が悪くなり家を出たあと、この被告に誘われ同居が始まる。
仕事についても、被害者は被告息子の勤務先で働くことになり、家も仕事も人間関係も24時間すべて被告の息がかかった空間となった。
暴力や虐待が始まっても、ヤクザとの関係を暗ににおわせるなど、言葉巧みにこの目の前にある世界以外には逃げられないと思い込まされる…
健康な若い男性を被告を頂点にした狭い集団の中でのすざましい暴力・虐待から逃げられなれなくさせたのは、実際には存在しない「ヤクザ」の恐怖だ。
普段ヤクザとの接点がない私たちにはヤクザがどういうものか分からず、どんな怖いことをされるのか妄想がふくらんでしまう。
分からないものへの妄想は恐怖心をさらにかきたて、どんなに現状が悪くてもそこから逃げだす行動力と判断力を奪う。
実際にこの被害者は、監禁されていたわけではないにもかかわらず、存在しないヤクザの恐怖心から暴力虐待まみれの生活から逃げ出せず最後は骨と皮だけになって命を落とした。
この惨状には心が痛むが、この事件からわたしたちが学ぶのは、よく分からない恐怖は妄想がふくらみ、どんな地獄からでも逃げ出す能力を奪うということだ。
その破壊力は人間にとって最も重要な自分の命を守るコマンドを発することをできなくさせる。
一般市民がこの事件のようにここまで暴力にさらされ逃げられないという事態にいたることはまずないけれど、あわない仕事や人間関係でうつ状態になるけれどその状況を脱することはできない可能性は誰にでもある。
うつ状態が進んで身動きがとれない場合は、恐怖の構造としては、この事件の被害者と同じだ。
自分が身を置いている環境を変える必要があっても、よく分からない恐怖に支配されて前にも後ろにも進めない。その恐怖は実体がなく具体的でもない。ただただ恐怖というだけではないか?
「よく分からない恐怖は自分の命を守る能力さえ奪う」
このことをこの事件から学び、自分が苦しい時はよく分からない恐怖にさらされているのではないか振り返る必要がある。
もしよく分からない恐怖にさらされているかもしれないことに気付いたら、その恐怖をひとつずつ分解していくと恐怖の実態が見えて過剰となっていた恐怖が妄想だったことが分かるはずである。