よく事件が起きると周りの人が「なんで相談してくれなかったのか・・・」と言っているのをニュースで見聞きするし、裁判でも相談というワードは頻繁に出てくる。
裁判で今後被告が再犯をしないために、もし困った状態になったら事前に誰かに助けを求めたり、周りの人が事前に気づいてあげられる体制があるかのどうかな見極めは量刑にかかわる大切な要素なのだ。
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裁判官:今後の息子さんの監督につとめるとのことですが、具体的にどのようにサポートされるんですか?
被告母:・・・なるべく家では話しかけたりしてコミュニケーションをとるようにします。
裁判官:お母さんもあなたを今後監督してくれると言っていますが、今後同じような状況になった時きちんと相談できますか?
被告:はい、相談します。
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こんなやりとりが裁判所で日々行われている。
例えば、窃盗。
お金がなくて、でもすごく欲しいものがある。
お金を工面したりもう少し待ってから、次の給料が入ってからなど、そもそもまっとうな方法でその欲望をかなえる工夫ができれば窃盗などしない。
窃盗した被告にとっては、そんな工夫をしたり誰かに相談したりするより、目の前に盗れそうな金目のものを盗るほうがてっとり早いから盗ったまでだ。
もちろん、捕まって裁判にもなっているので懲りて更生する場合もあるだろう。
ただ、次また欲しいものが出てきて、お金が足りない場合、母親に相談して解決するだろうか。
そもそも被告が母親に相談するということは、基本的にはお金を貸してもらうということになるので、
「私がほしいものはこういったことに使うコレコレこういう物で、どうしても必要なんです。これがあるとこういうメリットがあり、こんなふうに私が変われます」
などと、プレゼンテーションをしなくてはならない。
そもそも、すごく欲しくても欲しい理由を言語化するのは難しいし、母親に分かるようにその商品を説明し、お金を貸してもらうところまでこぎつけるなんて至難の業だ。
相談するまでの言語化は誰にとっても簡単なことではなく、実際に窃盗をしてしまっている被告にとっては特に負荷が高い作業だろう。
その高負荷の作業である言語化を行ってから、母親にプレゼンテーションをしたところで出資してもらえる可能性は限りなく低い。またその申し出自体を強く否定される可能性は高い。
同居している家族がいたら、仲がよい友人がいたら相談が出来るわけではない。
相談の前にまず自分自身の欲望や感情と向き合い言語化し、相談した後に相手に受け入れられない恐怖を乗り越えた先にしか相談は出来ないのだ。