裁判傍聴から人生を学ぶココロノトモのブログ

傍聴した裁判から学んだ事、考えた事をまとめています

「もう歳なので」で逃げ切る習性

被告人が老人の場合、本人尋問でもしょっちゅう出てくるやり取りがある。

 

検察官:「前回も、もう二度としないと誓ったのに今回はもうしないとなぜ言えるんですか?」

 

被告:「自分ももう歳が歳なもんで」

 

これが情状証人への妻への尋問でも同じ。

 

検察官:「前回、奥さんが監督すると言ったけど結局またやってますよね。監督できていないということではないんですか?」

 

妻:「もう、主人は歳も歳なんで・・・」

 

こんな具合だ。

 

高齢であることが検察官の質問の答えになっていない上に、高齢であることが次犯罪を犯さない理由にならない。

 

でも、彼ら彼女らは多分嘘をついているわけでも質問から逃げているわけでもないと思う。「歳だから」そこで思考が止まっている。

 

歳だからもうやらないとも思っていない、歳だからを免罪符として使っているだけなのだ。無自覚だとは思うが。

免罪符はそのワードだけ使っていれば、その後のすべてが省略される、省略できる。

 

免罪符として使っているのでなければ「(私としては)歳だから、もう刑務所暮らしはキツイので(刑務所に入りたくないという抑止力がより強く働くため)次は絶対にしないと言えます」などと「歳だから」の後を省略せずに言わなければならない。

 

どちらにしても「歳だから」が次の犯罪はないことを説明にするのは、被害者への謝意は無いし自分のことしか考えていないからこそ漏れ出る言葉だ。

 

これは法廷での話だけれど、別に歳をとっていても若くても「歳だから」で思考停止は我々も日常で行っている。

 

もし「歳だから」と思ってしまった時には、私は思考停止してしまっている、歳だからの後に何が続くのか?その続いた言葉は本当にそうなのか?など深堀りしていけば、実は未来が見えてくるかもしれない。