気づいたか気づいていないかは、心の中の問題なので外から見えるわけではない。
気づいたけれど気づいていないふりをすることもできるし、気づいていない方が都合が良ければ、気づいていないことにしてしまおうと思う気持ちは誰にでもある。
気づいていない方が都合が良い事態に遭遇した時、人は自分の心の中は他人には見えないので自分が本当は気づいていることは誰にも分からないだろうと思ってしまう。
今回膨張した民事裁判ではまさにその人間の真理が分かる内容だった。
高齢のおばあさんが、子や孫に何度もお金をあげると100万円単位でお金を渡し、兄弟間のその配分を巡っての争いだった。
元々はお金に執着があるおばあさんだったようだが、気前よく百万単位のお金をあげると言い始める。
親子なら、今までとの違いに気づくはず。ただ、その変化は自分達に都合が良い変化だ。
客観的な記録としてホームヘルパーの記録には痴呆も入っているという記憶がある。ただ、被告となった子供たちは、まったく地方症状は気づかなかったと証言した。
人はこういう状況に遭遇した場合、「痴呆は入っているかどうか気づくかどうかは自分の心の中の問題。言葉に出さなければ分からないだとだろう」と思ってしまうのだろう。
そして目の前のお金を優先してしまう。
そして心の声は
「お金をあげると言われもらっただけ。自分は何も悪くない!」
気づいていたら良くないことだけど気づいてなければ、仕方がないという行動。それならば気づいていないことにしておきたいこう思うのが人間なのだ。