裁判傍聴から人生を学ぶココロノトモのブログ

傍聴した裁判から学んだ事、考えた事をまとめています

「どんな仕事も尊い」というきれいごと

「仕事だから」とか「どんな仕事も尊い」と仕事を神聖なものとして扱いすぎる風潮にここ数年違和感を感じている。

 

「その仕事に対し誰かがお金を払うんだから、そのこと自体がその仕事が価値あるものだと言える」なんてこともよく言われる。別に間違ってはないと思う。ただ、ここ数年特に違和感を覚えていて、先日の出来事でそのもやもやの輪郭が少しはっきりしてきた。

 

先日、基本無人でスタッフはおらずチェックインも含め必要であればWEBか電話で問い合わせるタイプのホテルに滞在した。

 

用事があったので連絡先の電話に問い合わせると、まず自分が泊まっている建物の名前を詳しく聞かれた。どうやら、ホテルとは全く別地域にある様々なホテルの集中コールセンターにつながっているようで、オペレーターも全く土地勘はないようだった。

 

そのホテルグループは、名前が似たホテルをたくさん所有していたのだ。正式に聞き取る必要があるが、長いホテル名+WEST EASTなと最後の部分まで詳しく覚えていない。

ホテルの部屋に必ずある注意書きのしおりを見ればホテル名くらいは書いてあると思ったがそこにも、ホテル名の記載がなく部屋の中でホテルの名前が分かるものが全くなく、宿泊サイトの予約履歴を探し、そのオペレーターに自分のホテル名の正式名称を伝えることが出来た。

 

オペレーターは全く宿泊者の名簿を参照することも出来ないらしく、完全に伝言係としての機能のみだった。私の質問も伝言としてのみ受けられ回答は翌日担当からの折り返しとなり徒労感が残った。

 

と、ここまでの出来事は、従来のホテルであればまずどのホテルの何号室に泊まっているかも分かった上でフロントが電話を取るので、この何分もかかったやりとりも不要、私の質問も1分以内で終わるようなことである。

 

フロント係なら今回の私のちょっとした質問もその場ですぐ解決され、顧客の役に立った感を得られると思う。業務効率化により生まれたこのフロント係の一部業務を請け負う集中コールセンターの仕事。ホテルとは全く別の地域で顧客名簿も持たせてもらえず伝言を受けるだけとなり感謝もされにくいのは明白だ。

 

本来ホテルのフロント係は宿泊客の旅をサポートする素晴らしい仕事なはずだ。尊い仕事だと言える。尊い仕事が業務効率化のために区切られ、適切な情報も与えられず徒労感を感じた顧客の伝言係と化している。

 

ここ数年私がかかえていた「どんな仕事も尊い」というフレーズのモヤモヤは、業務効率化の果てになくなったにもかかわらず尊さの幻想をかかげなければならない違和感だったのだ。