自身の子供に接触事故を起こした交通事故の謝罪に訪れた女性を、自宅の駐車場に停めた社内で強姦した事件をニュースで知った。
数ある事件の中でも相当悪質で、許せない気持ちになった。
ただ、裁判を傍聴する時や事件のニュースを聞いて、理解は出来ないが一応の被告側の論理を自分なりに考えるようにしているので今回も、許せない気持ちは置いておき考えてみた。
誰でも「こんな悪いことをした人は何をされても仕方がない」という論理はないだろうか。「ネット私刑」も論理は同じだと思う。こんな悪いことをしたヤツには何か制裁を加えないといけないと思ってしまう誰でも心の片隅にはある考え。
その考えはごく普通だが、「制裁を加える」という部分を飛躍して、しかも自分の曲がった欲望の対象者として今回の被害者を利用していると考えると、それほど間違っていない解釈だと思えた。
ネットで誹謗中傷を書きこんでいる人、店員のちょっとしたミスや、単に自分の思い通りのサービスを受けられなかったというだけでここぞとばかりクレームを言っている人・・・。これらは、すべて同じ論理ではないか。
通常の日常生活ではとうてい受け入れらない自分の曲がった欲望をぶつけてもよい相手を探している人がある一定程度いるのだ。今回の容疑者はその中でもさらに極端な例だが、「自分の曲がった欲望をぶつけてもよい相手を探している人」は日常に潜んでいる。
ごく普通の人でも大なり小なりその感覚は持っていて、自分が無意識のうちに加害者になっていることもあるかもしれないし、被害者にもなりえる。
特にこの問題はパワーバランスの違いがあると起きやすく、パワハラやセクハラ、クレーマーなど日常で起きている問題と根源は同じだと思う。