裁判傍聴から人生を学ぶココロノトモのブログ

傍聴した裁判から学んだ事、考えた事をまとめています

まっとうに見える仕事が無意味化している

「どこかの企業に勤める」という大多数の人がやっていることが無意味化していると思う。

 

一通りの必要な物やサービスはそろっている現代、さらに企業が売り上げをあげようとすると、あの手この手を使って顧客の必要十分を超えて購入させたり、商品知識が乏しい顧客に契約時に違法とまではいかないけれど、企業側に極端に有利な条件で契約を結んだりするようになる。

 

会社の規模は問わず大企業でも同じ。

 

そうするとどうなるか。

 

慎重な顧客は、購入前に騙されないか細かく確認したり、販売会社に細かく確認したり、店員の言質をとったりする。サービスは複雑で店員も間違えることもあるし、認識の相違で言った言わないなどのクレームにも発生することはよくある。

 

他の顧客は購入後に気付いた不利益に怒り、クレームを言いにく。

 

購入前に言質をとられてあとからミスの追及を受ける店員、購入後のクレームを受ける店員は、これらの仕事はそもそも必要以上購入させたり、顧客を半ばだまして購入させるような販売方法をしていることで発生する仕事を引き受けていることになる。

 

仕事だからと何事も我慢するのが美徳とされる文化もあるが、これらの仕事はそれに値する仕事だろうか。

 

24時間働けますか時代の仕事は、人をだましたりしなくても会社も自分も成長出来てこのまま働き続ければ安定した生活ができる安心感もあっただろうけれど、今はその安心感を得ることはまずないし、大企業も含めて無理な売り上げ目標を設定している会社の仕事は特に仕事自体が無意味化していると思う。

人生における仕事の比重が下がっていくのは当然の流れだと思う。