裁判傍聴から人生を学ぶココロノトモのブログ

傍聴した裁判から学んだ事、考えた事をまとめています

社会をまわすために誰かに責任を押し付ける

何か事件が起こったら、誰かのせいにして罰を与えて「この人のせいなんだ、だからこういう罰を与えたよ」とやらなければ社会がまわっていかない。

 

起こった事件を最終的に実行したのは、その被告人かもしれない。

 

けれど、その被告のまわりで起きている現象はそんな単純ではない。

でも、複雑だからといって複雑なんでこの被告人一人のせいじゃないですよねという体裁にするわけにはいかない。

 

誰かのせいだとハッキリ分かりやすくなっていたほうが世間が納得しやすい。

 

もっと、世界は複雑なのに。

複雑であることを認めてしまうと、収集がつかなくなる。誰かのせいに出来なくなる。世間が納得しない。社会がまわらない。

 

別に私は被告人の見方をしたいわけではない。

 

メディアで報道されている事件は自分とは無関係の向こう側で起きていることだし、自分とは無関係の「わるいひと」達がやったことだし、「罪は厳しく!」で思考停止になっている人が多すぎる。

 

起きている事件はそんな単純ではないはずだけど、一人一人の個人にとっても社会にとっても単純化してしまったほうがラクだし社会がスムーズにまわる。単純化のつけは、実際に事件を起こしてしまった人、刑事事件とまではならなかったとしても、表面上に現れたあまりよくない事象を行っているその人が負うことになる。