裁判傍聴から人生を学ぶココロノトモのブログ

傍聴した裁判から学んだ事、考えた事をまとめています

被告のこだわりと粘り強さから学ぶ

日本では同じことを長く続けていることをよしとする文化があるし、諦めずにこだわることもよしとされている。

これらはポジティブな意味合いで用いられることが多いのに、事件は「同じことを長く続けている」し「あきらめずにこだわる」ことによって発生してしまうこともよくある。

単なるクラスメイトだった女性を10年以上ストーカーし続けていた被告がいた。

また、別の被告は邪魔だと思った人間を本当にこの世から抹殺するまで粘り強く実行に移した。


被告の中では筋が通っているが、当然罪に問われているほど良くない結果を招いている。被害者に全く落ち度はない。

どこが間違っているのか。
一言で言うと見ている視野が異常にせまい。

欲しいと思った物は手に入れる結果それだけしか見えていないし、嫌だ邪魔だと思った物はこの世から抹殺、それが被告らの「正解」

物なら買えば手に入り、排除したければ捨てればよい。相手が人間だから手こずる。

目の前の人間に人格がある前提なら、相手がこう思うかもしれないから、それに対してこのように対応するなど相手の反応のターンがあり自分のターンがあるのが当然だ。

両被告には、相手に人格があることがすっぽり抜け落ちているのだ。

粘り強く諦めずにこだわるという本当の意味は、相手や周りの人の人格を忘れないようにしつつ、試行錯誤の中で自分自身の変化にもよく目を凝らして調整したり方法を変化させたりして本来の目的や自分の幸せに近づくことなのではないかとそれぞれの事件に思いを馳せながら学んだ。

誰でも自分の視野が狭くなっていると相手の人格がある前提が抜けることはあるのでここは気を付けたい。