裁判傍聴から人生を学ぶココロノトモのブログ

傍聴した裁判から学んだ事、考えた事をまとめています

自分はそうならない安全地帯から見ると感じるドキドキする感情

名古屋市のいくつかの地域で路上喫煙禁止エリアがある。日中オレンジ色の制服を来た取締り係員が巡回していて、違反すると罰金をとられる。

先日、禁止エリアでたばこを吸っている人を見付けた係員複数人が足早にかけより、「違反です!」と喫煙者を取り囲んだ。目の前に突然事件が起きたかのように見えてちょっとドキドキした。

とくにごねることもなく、その喫煙者はすぐに罰金を払っていたのでとりたててドラマもなかったのだけど、自分の中におこったドキドキはなんだったんだろう?という自分の感情のほうが気になった。

世間では何らかの事件を起こした犯人に対して、コメンテーターなりSNSなりで発言している人を見ていると、自分の快感を得るために正論を言ったり攻撃したりしているようにも見え「絶対に自分が犯人側の立場になることは今後もない、自分はそっち側の人間ではない」という前提があるのだろうなと感じていた。

でも一応私は、人間絶対ということはないので、自分が犯人になることはないとは思いつつも、犯人と私の世界が全く別れていてそうならない安全地帯から一方的に見ているわけではないスタンスのつもりだった。

喫煙で捕まった話に戻ると、私はたばこが嫌いだし、もちろん吸わないので、たばこを吸うことで違反者という扱いになることは今後もないはず。

今回ワクワクにも近いドキドキを感じてしてしまったのは、自分がその立場にならないことが明確な状況で、誰かが悪いことをして捕まるのを安全地帯から見ていただけだから、こんな感情がわいてきたのかもしれないと思った。

人間、自分が安全地帯にいて安全を保証されていればワクワクドキドキの感情を求めてしまうものなのかもしれない。