刑事訴訟に犯罪被害者や委託を受けた弁護士が参加する制度のことだが、参加をすると、被害者が書面や口頭で直接裁判官に訴えることができるという制度だ。

 

ニュースで日々様々な事件が起こっていて、それなりに被害者の立場になって考えることは誰でも自然にすることはあるはずだけれど、加工されていない直接の被害者の生の声は、やはり被害者でないと表現できないので貴重だ。


裁判員裁判員は、ほとんど初めて裁判を経験するはずなので特に、裁判員への心情に影響すると思う。

 

 私も何度聞いても、被害者の悲痛な叫びは心が痛むし、どれだけ想像を働かせても被害者本人の苦痛の一部分しか理解できないと思っている。

 

ただ、そんな中、先日その被害者陳述の中で初めてなぜか違和感を感じたことがあった。


なぜ違和感を感じるのか考えてみた。

その被害者は、被害を受けた事件について訴えてはいるのだが、それが事件自体や被害者の心と体の傷についての裁判官へのアピールというよりは、舞台女優が舞台で発するような抑揚、事実というよりは小説のような情景を交えての解説だったのだ。


被害者として裁判官に訴えるというよりは、みんな私に注目して欲しいという欲望が前面にあふれているように感じた。


私のような感想を抱いたとしても誰も被害者にそんなことを言う人はいないだろうし、被害者自身も自分に注目してほしい願望が出ていることに気付いていないと思う。

ただ、まわりから同情を受けて当然の被害者という立場でも、その場にふさわしくない欲望をからめて表現すると、第三者から見て違和感が残るということに気付いた瞬間だった。