裁判傍聴から人生を学ぶココロノトモのブログ

傍聴した裁判から学んだ事、考えた事をまとめています

まともな人間でいたいと思う欲望との戦い

傍聴している公判で、ある一定程度の割合で介護殺人事件に出くわす。

 

私が今まで傍聴した介護殺人では、比較的介護を初めて初期の段階で事件が起こっている。そして、その被告の周りには、介護に無関心な他の家族、見て見ぬふり、一人で頑張ってしまう被告、自分の範疇を超えて介護を頑張らなければならないという呪縛・・・、どの事件からもこの要素が浮き彫りになってきた。

 

介護にかかわらずだけれど、「〇〇でなければならない」という呪縛は、閾値を超えてしまうと、大変な事件になってしまうことがある。

この気持ちは自分の中の思いなのに、自分で自分を苦しめ、とりかえしがつかなくなってしまう。

なぜ、「〇〇でなければならない」と思ってしまうのか・・・。育ってきた環境や「世間」というよく分からないものからの圧力からそう思い込んでしまっているだけなのだとしたら、まずは自分が苦しんでいることを自覚する。

そして自分はどうこの状況を改善させることが出来るのか、そういうことを考えることができるかどうかが大きな分かれ目になってくる気がしている。

 

「自分が苦しい時、苦しめているのは『〇〇でなければならない』という自分の思いこみかもしれないと考えることが大切」

 

介護は、誰でもその状況に苦しむことはありえるので、こういった身近なテーマから起こる事件から学びをえることは多い。