ココロノトモのブログ

傍聴した裁判から学んだ事、考えた事をまとめています

後妻業の妻 筧千佐子にかかわってしまった男達の幸せとは

先日テレビで、後妻業の妻 筧千佐子の面会に何度も行き本を執筆したルポライターが出演していた。去年私も京都地裁まで傍聴しに行ったので思ったことを記録しておこうと思う。

 

まず、この事件は、起訴されたのが4名だが、それ以外にも殺めているようで(ルポライターさんが千佐子本人から面会の時に聞いたそう)、何人も人が死んでいるのに、どこか現実味がないのだ。

 

血も流れていないし、被害者は孤独で他人とのかかわりが少ない人であるため、「被害者の家族感」が表面に出てこないので、傍聴していてもどこか人間らしい生々しさが感じられないのだ。

 

殺されてしまった被害者が千佐子と良い仲になった時に数少ない関わりのある人物にもらした喜びの声、そして今回幸い被害者とならなかった千佐子と関係を持った男性が皆千佐子に夢中になっていた様子。

  

被害者は真面目につつましく生きている孤独な男性で、健康の為にジムに行ったり、月1回の通院は忘れることなく続け、かかわる人物もほとんどいないといった真面目でイメージ通りの孤独な高齢男性達。

 

随分前から独身で、普段の生活では女性とのかかわりもほぼなかっただろう。そんな真面目でつつましく生きていた被害者男性でも、寂しいとか最後にひと花咲かせたいという切ない願望は忘れていない。その願望に千佐子がするっと入り、願望をどんどんかなえていく。

 

千佐子にとって、歯の浮いたようなセリフや、婚姻届け、肉体関係は目標達成のためなら必要な手段の一つでありたいした意味はないのだ。

 

千佐子と過去交際関係にあったというひとりの男性が証言台に立った。その男性は入院中。見た目にも相当体が弱っているように見え、証言する為に外出許可をもらってきたそうだ。

 

その男性は誇らしげに千佐子と肉体関係があったと証言した。

 

この男性からや被害者から見えてきたもの、最後にひと花咲かせたいという人間の自然で切ない欲望を人質に千佐子は金を引き出そうとしたということだ。

 

高齢男性の寂しい気持ちを利用した犯罪というのはニュースを聞いただけで分かるが、その奥の男性の自然で切ない欲望をかいまみる事ができたのがとても感慨深かった。