ココロノトモのブログ

傍聴した裁判から学んだ事、考えた事をまとめています

裁判を通して家族とは何かを考える

「家族」という言葉から連想されるものは、絆とかひとりぼっちじゃないとか、助け合い、とか・・・
なんとなく温かみのある言葉だ。

もし自分が自分の家族からその温かみを感じていなくても、人に堂々と言ったりすることは何となくはばかられる風潮がある。
だからこそ、自分にも家族の存在を温かみのある存在として暗示をかけている。
無意識でも自分に対しても家族に対しても対外的にも「家族のイメージ」を演出している。


情状証人の家族、例えば母親がテンプレートのような質疑応答がある。

検察官:「息子さんが逮捕されたと聞いてどう思いましたか?」
母親:「頭の中が真っ白になり、信じられませんでした」

検察官:「息子さんがこんなことをしているとは知っていましたか?」
母親:「全く知りませんでした」


特に性犯罪の場合、母親が息子の性癖は知らないだろう。
被告も家族には性癖を隠している。

平穏な家庭を運営するために、家族の不穏な行動に気付く事が
あってもまさかと思う。

刷り込まれている家族を演じる為に、家族を構成する人それぞれが
見たくないものを見ないことで、家族同士は本当は何も知らないという実態がそこらじゅうにある。

家族を神聖化しすぎた結果のひずみが裁判で見えてくる場合がある。