ココロノトモのブログ

傍聴した裁判から学んだ事、考えた事をまとめています

弱い立場の他人を自分の欲望のはけ口にしてもよいと思うのが人間なのか

今日、テレビで中学生が授業中、講義をしている教師を何度も足蹴りし、その後何事もなくまた、講義を続ける様子の動画を見た。

この学生は、後日逮捕されたとの説明だったが、教師は生徒に蹴られたことについて特に注意をするわけでもなく、ヘラヘラして何事もなかったように授業を進めていた光景は衝撃的だった。 

 

生徒が教師に暴力をふるうことの要因として、先生の立場が今とても弱くなっていて、「生徒が教師に何をしてもしかえしされないだろう」という心理が働いているのは間違いない。

 

この事件は、暴力をふるう者とふるわれる者の二者間で起こった出来事が原因ではないと思う。暴力をふるう者側の満たされない思い、不満、絶望、イライラなどそもそもなぜその感情がくすぶっているのか自分でもよく分かっていない負の感情を発散するために 、弱い立場の他人を利用しているのだ。

 

刑事事件で言うと、事件の形としては、児童虐待、傷害、強姦、強制わいせつなどとして事件化されると思う。一般市民からしたら、こんな事件には自分は関係ないと思うかもしれないけれど、 一般社会でも同じ図式は日常的にある。

 

クレーマーも言い返せないと分かっていて店員を自分の「くすぶっている感情を発散させるはけ口」として利用しているし、もっと日常的な出来事で言えば、どこの職場でもいる不機嫌オーラをまき散らしている人も同じだ。

 

自分の欲望のはけ口に他人を利用する人は、その相手を選んでいる

 

自分より立場の強い人や、仕返しされるなどリスクが高い人はその相手として選ばない。そのずるい人達には「この人には何をしても大丈夫」と思われないことが大切だ。

 

そして、人間多かれ少なかれ、自分の欲望をはけ口に他人を利用している部分はあるので、自分がそのような思考をしている時がないか、自分についてもよく見ておく必要がある。