cocoronotomoのブログ

傍聴した裁判から学んだ事、考えた事をまとめています

真実は他人が決める

世間で日大のアメフト部の悪質タックル問題がまだまだ世間を騒がしているが、内田前監督と井上コーチの会見と裁判での光景は重なる部分がある。

 

例えば殺人事件で争点になるのが殺意があったかどうか。

 

「殺意」というのは被告の心の中の事象で実態がない。

起こしてしまった被害は認めるし反省しているけど、「殺意はなかった」とか「死ぬとまでは思っていなかった」など殺意はなかったことをアピールするのはよくあることだ。

 

被告に殺意があったとしても被告の論理からいくと「そんなの証明しようがないし、そもそも自分自身のことなのに、自分が殺意がないと言えばないだろう」と思ってしまう。

 

この事象をアメフトタックル問題に置き換えると、内田前監督は相手チーム選手にケガを負わせるつもりだったことを証明しようがないと思っているし、自分が相手チーム選手にケガを負わせるよう具体的な言葉は使っていないので当然意図的ではないという主張は通るだろうと思っているのだろう。

 

ただ、実際の裁判では状況証拠、客観的事実から被告の心の中がどうだったかを他人が認定する。

 

被告からしたら自分の心の中なのに他人に認定されるのは納得がいかないだろうが、問題の争点が心の中のことであると、「真実」は他人が決めるということになる。自分の気持ちも自分のものではない場合があるのだ。