裁判では犯行を認めていれば、今後更生するために
犯行の原因と対策をどうするかという話に及ぶ。
例えば、わいせつ事件の被告人質問の例。
検察官:なぜ今回このような事件を起こしてしまったのですか?
被告人:仕事で嫌なことが重なり、ストレスが溜まっていて・・・
お酒もちょっと入っていることもあり・・・
検察官:ストレスは誰でも溜まるものですよね。
世間の人が皆ストレス溜まったからといってこのような
事件を起こしているわけではありませんよね。
被告人:・・・はい・・・
検察官:では、なぜ今回このような事件を起こしてしまったと自身では考えますか?
被告人:・・・自分の弱さだと思います・・・
正直、このやり取りは事件の内容関わらず質問と答えがテンプレートかと思うくらい繰り広げられる展開なのだ。
ただ「ストレス溜まったからって言い訳にならないよね」という感想は浅すぎると思うのだ。
本来人間は自分勝手な欲望がベースにあり(この場合は女性にわいせつな事をしてみたいという欲望、そして相手の女性の気持ちはどうなのかということには考えが及ばない)社会圧、損得勘定、相手を思う想像力、客観的な視点でその欲望を行うか行わないか制御していると考えるとこのやりとりに納得がいく。
自分勝手な欲望を制御している社会圧、損得勘定、相手を思う想像力、客観的な視点の力が、弱まった時やなくなる時はどういう時かと考えるとストレスが高まった時であるのは容易に想像がつく。
ストレスが溜まると普段制御している力が弱まり、本来の悪い自分が全面に出てくるということだ。
これほどまでに同じやり取りが展開されるということは人間の本質はここにあるのではないかと気付かされる。これは誰にでもあてはまることだ。
本来の自分とは何か。どのような嗜好があり、どのような誘惑に弱いのか、何が出来て何が苦手なのか・・・。そして何が自分を制御しているのかなど、自分を深く掘り下げていくと自分の苦悩も少し輪郭がくっきりしてきて楽になれないだろうか。
裁判は人生の色々なことについて教えてくれると思う。