裁判傍聴から人生を学ぶココロノトモのブログ

傍聴した裁判から学んだ事、考えた事をまとめています

傍聴人の顔ぶれと傍聴の意義

裁判の傍聴は誰でも出来るがどんな人が多いか。

 

まず、裁判は平日の10時位~16時位で昼休憩は12時位~13時位。

普通に土日休みで仕事をしている人は、まず傍聴出来ないのだ。

 

傍聴常連の顔ぶれは、ほぼリタイアしたおじいさん。家にいても奥さんに迷惑がられるし、かといって毎日どこかに出かけるにもお金がかかる。

さしてやりたい事もなく、時間をどうつぶそうかと思っている中で出会ったのが傍聴といったケースが多い。

 

リタイアしたおじいさんと傍聴は相性がよいのである。

しかも地域によるが、敬老パスが支給されるので、交通費も余分にかからない。同じような仲間もいるので、雑談したければ話し相手もいるし、話題には事欠かない。

 

私はリタイア世代ではないので、リタイア組のおじいさんほどじっくり傍聴出来ないのだが、しょっちゅう傍聴しているおじいさんに、傍聴出来なかった裁判の内容について聞いたり、意見を聞いてみることもある。

 

だが、暇つぶしで傍聴しているリタイア組おじいさんの大半は、ほとんど内容を覚えていない!

もちろん、裁判の内容についての意見も特になかったり、ただの被告人の悪口だったり・・・。

 

事件の関係者でないのに、傍聴している私も、関係者からしたら歓迎される存在ではない。
ただ、せめて事件について深く考えたり、自分とは異なる境遇の人いるとか、自分だけの世界では想いを馳せることが出来ない部分について事件について関心を持つということは、ほんの少しは社会の一員として意味はあることだと思っている。

 

多様化が進んでいる社会で、自分とは違う人のことを知って深く考えることを皆が出来れば、ギスギスした社会も少しだけ穏やかになるのではないか。そういう意味では傍聴も意義があるともいえる。