裁判傍聴を続けると、「物事の最悪のパターン」の事例が自分の中に蓄積されていく。
幸い、過去に大変な事件に巻き込まれたことはないが、事件を多く見聞きすることで、疑い深くもなる。
先日、海外に旅行に行く際に同僚からの荷物を預かって持っていってもらえないかと頼まれたことがあったのだが、覚せい剤の密輸の裁判を何度も見ている私は、すぐにその事がよぎった。
私も、同僚も善良な市民。覚せい剤が紛れ込むなんてことは考えられないのだが、突然怖くなりその依頼を断ってしまった。
これは紛れもなく裁判傍聴の悪影響だ。
日常生活でも、特に夜道を歩く時などは以前と比べて気を付けるようになったし、街中を歩く時でも、この中に何か悪事を起こそうとチャンスを虎視眈々と狙っている人がいるかもしれないと気が抜けない。
防犯意識が高まるのは良い事だが、このような裁判傍聴の悪影響にも少し困っている。